009 Be the change
〈3.11のこと〉
あと2ヶ月足らずで、3月11日がやってきます。もうすぐ1年が経とうとしているのに、あの日の衝撃は、まるで昨日のことのようにはっきりとよみがえります。けっして忘れられない一日です。わたしはと言うと、東京の自宅にいて、そろそろ出かけようかというときでした。被災地の惨状はテレビで知りました。我が目を疑いました。絶句というのはこういう状態を言うんだ、とあとから思いました。黒い波に呑み込まれる街と車と人と。嘘だ!嘘だ!どうか、助かって!死なないで!そう叫びながらテレビにかじりついていました。でもその衝撃はテレビを通してでした。電気はついたし、ガスも一時的に止まっただけでした。家族のひとりは一晩帰宅できませんでしたが、翌日には帰宅してみんな無事でした。被災地ではたくさんの命が失われて、家が流されて、街が消えました。続いて福島の原発事故の情報が伝えられ、放射能の脅威に包まれました。それは、東京にいてさえ、脅威でした。しかし、福島から200キロ離れた東京にいる自分と、被災地で途方に暮れている人たちとの間にはけっして埋まらない大きな溝がありました。
〈素朴な疑問〉
今回の震災による被害について、地震と原発は分けて考えるべきでしょうか?地震は避けられません。しかし、今原発が引き起こしている被害は避けられなかったでしょうか? 今回の震災は未曾有の震災と言われました。未曾有というのは、未だ一度も経験したことのないという意味です。あの場所に原発がなかったら、地震による被害からの復興は大きな課題として残ったとしても、汚染や内部被爆を心配する必要はなかったはずです。日本は地震大国です。大地震がまたやってくることは確実です。自然の力は人間の想像を超えています。次にやってくる自然の猛威は、また未曾有と言われる規模かもしれないのに、どうして原発を止めることができないんでしょう。原発がいかに危険かということを、まさに経験したのにもかかわらず、どうして原発を手放すことができないのでしょう。科学者でも専門家でもない、ましてや環境活動家でもなんでもない、放射能におびえる一市民の素朴な疑問です。こんなにシンプルなことがどうしてまかり通らないんでしょう。稼働時にCO2を排出しないクリーン(実際はクリーンではない)で儲かるエネルギー(実は稼働していなくても莫大なコストがかかっている)だからといって、日本が原発をやめないのは、何か他に理由があるんでしょうか。きっとあるんでしょう。脱原発を訴える人たちは、環境のこと、自らが暮らす土地のこと、次の世代のこと、経済のこと、それらを考えた上で反対しているのはもちろんですが、それがきれいごとだと言われてしまうなら、正々堂々と言ってもいいと思います。だって、怖いもん。死にたくないもん。大切な人たちに病気になったり死んだりしてほしくないもん。それを過剰反応だというなら、安全だと言う根拠を見せてください。それを利己的と言うなら、自分をないがしろにして他人を大切にできるんですか、と問いたい。
〈自分の問題にする〉
今回の震災と原発事故が突きつけてきていることを、自分の問題に引き寄せて考えないことには何も変わらないと思います。3月11日に起きたことを、乗り越えるべき困難にすり替えないでほしい。あの日のことを、なかったことにしたくない。絶対に。復興を目指して一致団結して前進することで、絆なんて言って生温い連帯感を生み出さないでほしい。過去に起こったことを忘れてはいけないんです。まだ何にも終ってないんです。汚染された街に住みたいですか? 汚染された野菜を毎日食べますか? 汚染された海に海水浴に行きますか? 今まで考えもしなかったことを心配しなくてはならないという現実があります。一家で移住したひと、移住できずにいるひと、どちらも犠牲にしているものがあります。普通に生活できるということがどれだけありがたいことか。
実は、今回のコラムは、ドイツやスウェーデンのエネルギー自給自足の街について紹介しようと準備をしていました。北九州市で取り組まれているスマートシティのモデルケースについても調べていました。わたしたちだってできる。変われる。そう書こうと思っていました。けれど、それらはどれも具体的なよい例だけれど、書いていてもどうしても自分の問題として語れなかった。たとえ今回の事故がいつか収束したとして、原発がある限り、同じことが起こる可能性は残り続けます。放射能はこわい。放射能がいやだ。その土地に根付いて安全に暮らしたい。そう思い、そう思っているだけでは何も変わらないので、自分が変わるしかないんだ。そこに触れずに通過してしまってはダメなんだ。そう思ったら、結果的にこんなふうにしか書けませんでした。ナチュラルとかピースとかエコロジーとか、もちろんとってもいいと思うけれど、今はその全然手前なんじゃないでしょうか。考え方は人それぞれでいいと思うけれど、生きたいとか大切な人を守りたいとか、そんな切実なところからしかはじまらないんじゃないでしょうか。残念ながら、日本という国は変えるのはなかなか難しいということが分かりました。だったら、わたしが変わる。どんなに大きな一歩も、はじまりはたったひとりの一歩だったはず。
〈選択する未来〉
原発がすぐになくならないなら、せめて、エネルギーを選択できるようにしましょう。エネルギーを国や電力会社に頼らない暮らしを作って行くことだと思います。そのためにはローカルコミュニティが成熟することが必須です。街ぐるみで、エネルギーを自給して供給システムを可視化すること。それには投資が必要になってくるけれど、ドイツのフェルトハイムという村では、住民38世帯が3000ユーロを出し合って電力会社を作ってしまったという例もあります。これは経済と連動して考えて行く問題です。
また今回の震災では、ツイッターをはじめとするソーシャルメディアが大活躍しました。個人同士のつながりとしてはもちろん、法人や地域の団体単位のアカウントが有効な情報を発信すれば、マスメディアよりもスピーディで現実的な情報ネットワークができます。悲観すべきことばかりじゃない。具体的なアイディアの紹介は次号以降のコラムの宿題としたいと思います。来る3月11日に一人でも多くのひとが自らの変化を意識できますように。


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